常滑伊吉
常滑伊吉(とこなめの いきち、本名・中野伊吉、別名・中野宗右衛門、通称・大半)は幕末から明治の侠客、博徒。常滑一家二代目。
略歴
- 嘉永4年3月5日、常滑兵太郎の次男に生まれる。
- 元治元年5月、同村の中野宗右衛門の養嗣子となり、宗右衛門を襲名した。
- 明治15年頃、跡目を子分の松本石太郎に譲り、隠退。
- 大正9年3月18日歿。行年70歳。墓所は愛知県常滑市社辺の総心寺。
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