家根屋弥吉
家根屋弥吉(やねやの やきち 本名・安藤弥五郎 1847年9月-1914年4月7日)は明治の侠客、博徒。家根弥一家初代。
略歴
- 浅草の侠客。
- 兄弟分に祢津一家・上田富五郎、須戸橋一家・須戸橋藤三郎。
- 19847年(弘化4年)9月、浅草広小路の生まれ、浅草公園六区に住んだ。父は家根(屋根)職。
- 1864年(元治元年)、江戸の米の価格高騰が原因で貧民が飢餓に陥った際、新門辰五郎の兄弟分の西宮仙太郎?を首領とする数百人の同志数隊が、富家豪商に迫り米穀を出させた際に、家根屋弥吉も18歳で一方の隊長となり、諸方に奔走した。
- 1874年~1875年(明治7~8年頃)、浅草公園地内諸興行の取締をなした。
- 1889年(明治22年)、新場小安と共に養育院に赤飯などを寄附し東京府知事より賞状を受けている。
- 1914年(大正3年)4月7日、脳溢血で死去。享年67歳。
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