水野十郎左衛門
水野十郎左衛門(みずの じゅうろうざえもん 本名・水野成之(みずの なりゆき) 1630年-1664年4月23日)は江戸前期の侠客、旗本奴、武士。大小神祇組。
略歴
- 江戸市中で旗本奴である大小神祇組を組織し、家臣4人を四天王に見立て、綱・金時・定光・季武と名乗らせた。江戸市中を異装で闊歩し、悪行・粗暴の限りを尽くす傾奇者であった。
- 町奴の幡随院長兵衛と対立し、誅殺した。
- 十郎左衛門はこの件に関してお咎めなしであったが、行跡怠慢で1664年3月26日に母・正徳院の実家・蜂須賀家にお預けとなった。
翌27日に評定所へ召喚されたところ、月代を剃らず着流しの伊達姿で出頭し、あまりにも不敬不遜であるとして若年寄の土屋数直の命により即日切腹となった。享年35。
反骨心の強さから切腹の際ですら正式な作法に従わず、膝に刀を突き刺して切れ味を確かめてから腹を切って果てたという。
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