佐原喜三郎
佐原喜三郎(さわらの きさぶろう、本名・本郷喜三郎、1806年-1845年7月7日)は幕末の侠客、博徒。
略歴
- 下総国香取郡佐原村の人。
- 本郷武右衛門の長男に生まれる。
- 八丈島流人帳に天保七年三月流罪、天保九年七月三日抜舟・花鳥等と同蒔抜舟・八丈島では朝日象現と唱え中之郷村預り・賭場胴取・内藤隼人正掛・申三月入牢・浄土宗・下総国香取郡佐原村新田百姓・喜三郎・着島年令三十一歳とある。
- 出獄した時に、江戸深川富岡町の綿貫藤助(喜三郎の姉の孫まつ女の再縁の夫)方に落ち着いたのであるが、その八畳間が全国の顔役からの出所見舞祝品で一杯となったという。
- 近世侠客有名鏡に名があり。
- 弘化2年6月3日歿。行年40歳。墓所は千葉県佐原市佐原の法界寺。
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