長野修一
長野 修一(ながの しゅういち、1944年7月26日- )は日本のヤクザ。広域暴力団・一和会・二代目山広組元若頭。
略歴
- 福岡県出身の一和会のヒットマン。
- 1984年6月5日、四代目山口組発足と同時に山広組組長・山本広が反発して山口組を離脱。一和会を発足。
長野は山広組直参組長として一和会に参画した。
- 同年、和歌山県東牟婁郡串本町の賭場で、山口組・岸根組組長・岸根敏春が、一和会・坂井組串本支部若頭補佐・潮崎進を刺殺。
この事件をきっかけに「山一抗争」が勃発する。
- 同年7月下旬、一和会・二代目山広組若頭・後藤栄治は、山広組舎弟・長野修一とともに山口組に対する行動隊を結成。
長野修一を行動隊長に据え、9月中旬には山広組から19人の隊員を選抜し行動隊の結成式を行なった。
- 石川裕雄が指揮を執った四代目山口組組長・竹中正久の暗殺に際し、長野修一は実行犯の隊長として田辺豊記・立花和夫・長尾直美を率いて実行、暗殺を成功させた。
- 事件直後に瀕死の竹中正久を乗せた車に轢かれ、そのまま逮捕された。
- 2020年6月現在、熊本刑務所に収監されている。
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