波谷守之
波谷守之(はだに もりゆき、1929年11月28日 - 1994年11月2日)は、日本の博徒。波谷組組長。元・三代目山口組菅谷組舎弟。最後の博徒、天一坊と呼ばれた。
略歴
- 広島県呉市阿賀町出身。
- 恐らく日本の博徒で歴史上1、2を争う大博打の勝負師。
- 1977年(昭和52年)1月、菅谷政雄は、内密に三代目山口組直参昇格を勝手に進めていた菅谷組系川内組・川内弘組長を破門とした。これを切っ掛けとして、三国事件が勃発した。
- 同年8月31日午後9時過ぎ、阿倍野署の刑事2人は、波谷守之を殺人・銃砲刀剣類所持等取締法違反・火薬取締法違反容疑で逮捕した。冤罪の始まりである。(三国事件)
- 1981年(昭和56年)11月25日、兄貴分である元三代目山口組若頭補佐・菅谷組組長の菅谷政雄が67歳にて死去した。その頃の波谷は冤罪により拘禁中であり、懲役20年を宣告され裁判で戦っていた。
- 1984年(昭和59年)9月13日、長い年月を費やして無罪を勝ち取った波谷守之は、金沢刑務所を出た。
- 1985年(昭和60年)波乱万丈の人生で、山下耕作監督「最後の博徒」のモデルになったのは波谷守之である。
- 1987年(昭和62年)11月24日、菅谷政雄の7回忌が行われた。波谷守之の交渉で、午前中には、一和会関係者が焼香し、午後には山口組関係者が焼香した。
- 1994年(平成6年)11月2日、波谷守之は、大阪市阿倍野区の自宅で こめかみを拳銃で撃って自殺した。
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