山梨巳之助
山梨巳之助(やまなしの みのすけ、本名・松井巳之助)は幕末の博徒。山梨一家初代。
略歴
- 静岡県袋井の人。
- 子分に堀越藤左衛門、森五郎八、四角山周吉、大和田友蔵。
- 大前田英五郎と兄弟分とも。
- 森五郎が間違いを起こしたため、巳之助が五郎を殺害しようとしていたところを間ノ川又五郎が間に入って五郎を救った。
- 大和田友蔵の子分の首を斬って首実検を行い、それがもとで遠島となる。島抜けを試みるものの失敗し、鈴が森で処刑される。
巳之助の用心棒格に竹という暴れ者がいて、大和田友蔵の子分・藤五郎と揉めた。藤五郎は温厚な人物であったらしいが、竹が執拗に絡んできたため、ある日とうとう賭場から追いだすという仕打ちに打って出た。これを恨んだ竹は藤五郎の家に行き、藤五郎を出せと女房のやすに凄んだ。藤五郎は二階で寝ていたが、やすは事を察し、亭主は留守にしていると嘘をついた。ところが竹はそのまま土足で階段を上がり始め、これに狼狽したやすは夫の長脇差で、思わず下から竹を突き刺し殺してしまう。友蔵は自分の子分が巳之助の身内を殺してしまったことに慌て、何はともあれ藤五郎を逃がし、その上で巳之助に事を詫びに行った。ところが好々爺の巳之助と世間話をしている内に、ついに言葉が出ず、長時間を費やしてしまったところで、巳之助の居候・相撲上がりの四角山周吉が突然巳之助に事の真実を告げた。巳之助は火の様に怒り、友蔵を攻め、すぐに藤五郎の探索に子分を向かわせるが、既に逃げた後であった。友蔵は平謝りに謝ると共に、藤五郎が上手く逃げたことに胸をなでおろした。ところが、常々友蔵を嫌っていた四角山周吉は執念深く藤五郎を追いかけ、二、三日の後、とうとう隠れ家を突き止め、藤五郎の首を取ってしまった。四角山は藤五郎の首を持ち帰り、親分巳之助に首実検をするように願い出た。さすがにこの申し出に、堀越藤左衛門や、森五郎は大反対するが、巳之助も年をとり耄碌していたのか、とうとう一家で場を立て、これを行う事に決めた。ここに至って友蔵は巳之助と全面から闘う腹を決める。友蔵は藤五郎の妻やすを安東文吉の所へ遣り、事の次第を話し助力を要請した。首実検の話を聞いた文吉は即座に柳新田政蔵、安西吉五郎に一団を率いさせ、掛川へと向かわせ、巳之助の用意していた一団を打ち破り、とうとう巳之助をお縄にする。ちなみにこの時、巳之助勢の中に四角山は既におらず、一早く逃げた後だった。
- 八丈島流人帳に万延元年四月流罪、同十月十一日抜舟露顕、十月二十三日病死とある。
- 万延元年9月11日または万延元年10月13日歿。行年53歳。墓所は静岡県袋井市上山梨の用福寺。
- 跡目は森五郎八が継ぐ。
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