八王子一家
五代目八王子一家(はちおうじいっか)は東京都八王子市三崎町1-1 小林ビル2Fに本拠を置く暴力団で、指定暴力団・稲川会の二次団体。旧中杉一家・辺見一家。
略歴
中杉一家
- 小金井一家の分かれ。
- 八王子に勢力を築いた博徒・鍛冶常こと杉浦常吉は、自身の名と、抗争相手で自ら殺害した中山為七の名を取って一家の名を中杉一家とした。
- 1924年(大正13年)頃、中山為吉、杉木常向らが中杉一家を結成したとも。
- 1926年(大正15年)4月、縄張り争いから辺見一家と大乱闘事件を起こす。
翌年、大横町を中心に以東を中杉一家、以西を辺見一家として解決した。
- 杉浦常吉は昭和の初めに死去。二村某が二代目を継承したが早死にした。
- その後、岩瀬俊が跡目を継いだ。
- 中山為吉が総長との資料もあり、昭和15年頃中山為吉死亡により岩瀬俊我跡目を継承したとある。その頃通称岩瀬一家といわれた。
- 岩瀬俊は八王子の寄居一家竹東二代目・小島鉄広の盃を受けていた愚連隊宮本組組長・宮本高三を跡目に据えた。
辺見一家
- 中杉一家と縄張りが隣接していたため対立していた一家が日光屋一家の流れを汲む辺見一家であった。
- 大正末期に八王子一帯を縄張りとして佐藤嘉市が結成。
当時は日光屋一家と称し、中杉一家と対立した。
- 1938年(昭和13年)頃、佐藤嘉市が死去。辺見繁太郎が跡目を継ぎ、辺見一家と改称した。
八王子一家
- 中杉一家と辺見一家は日本国粋会に加盟した。
- 1969年(昭和44年)、小金井一家(東京都)、中杉一家、辺見一家、親之助一家(山梨県大月市)は國粋睦を脱退。
- 脱退した四家名で新たに二率会を結成、中杉一家と辺見一家が合併し八王子一家と改め、宮本高三が総長に就いた。
- 二率会を脱退し稲川会に加入した。
系譜
中杉一家
初 代 - 鍛冶常こと杉浦常吉
二代目 - 二村 某
跡 目 - 岩瀬 俊
跡 目 - 宮本高三
辺見一家
初 代 - 辺見繁太郎
代目不詳 - 西山健二
八王子一家
初 代 - 宮本高三
二代目 - 小林秋義
三代目 - 吉國嘉津治
四代目 -
五代目 - 今井誠勝
五代目八王子一家組織図
総 長 - 今井誠勝(稲川会理事長補佐)
若 頭 - 平尾光二(稲川会理事)
幹事長 - 久保市文雄(稲川会理事)
本部長 - 田中真一
懲罰委員長 - 稲垣剣太
渉外委員長 - 高橋裕二
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