岩淵源七
岩淵源七(いわぶちの げんしち、本名・斉藤源七)は幕末の侠客、博徒。
略歴
- 静岡県庵原郡岩淵の人。
- 顔面あばただらけの、身の丈五尺そこそこの小男で、全身に三十余ヵ所の刀疵があり、片手は手首から斬落されて無かったという。
- 郷土雑誌駿遠豆に岩淵の源七伝あり。
- 兄弟分には横綱鏡岩浪之助?、大場久八、沼津三平、平井亀吉などがいた。
- 弟分には坊主勝、下田安太郎。
- 慶応2年4月24日歿。行年不詳。墓所は静岡県庵原郡富士川町岩淵の新豊院。
- 源七の墓には子分達の名前が刻まれていたが、現在その墓は処分され斉藤家代々之墓となる。
- 源七跡目は庄右衛門が継ぐ。
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