天野良蔵
天野良蔵(別名:天野稲次郎)は幕末から明治の侠客。伊勢紙谷一家二代目。三河紙谷一家初代。
略歴
- 天保11年(1840)8月13日生。
- 父は幡豆郡寺津村の有力な半稼師であった。
- 父の妾と通じて怒りを買い、父は神谷米太郎に殺害を依頼するが、米太郎に見込まれ命を助けられ、伊勢に逃げた。
- 天野稲次郎と称し伊勢を抑え、伊賀国まで勢力を伸ばした。
- 恩人神谷米太郎を伊勢に迎え、米太郎を初代として神谷一家を興した。
- 明治28年、米太郎没し、その後二代目を継いだ。
- 明治35年頃、名倉善五郎に跡目を譲って引退。故郷の寺津村に帰住した。
- 寺津村でも勢力を有し、吉良一家四代目・鈴木庄三郎を舎弟とし、形原一家三代目・市川与四郎と兄弟分であった。三河神谷一家を興した。
- 明治38年11月12日歿。行年65歳。墓所は愛知県西尾市寺津町の養国寺。松阪市の篠田山墓地内・法久寺墓地に分骨墓があり、墓石左側面に紙谷二代通称天野稲次郎、紙谷三代施主名倉善五郎と刻んである。
- 清水治郎長の香典帳に、金弐拾円天野稲次郎とある。清水ノ治郎長乾分豊田京次郎の子孫が所蔵の『旅人帳』に三重県伊勢国松坂町・米太郎一家稲次郎内角太郎十二月十一日御伺とある。
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