大瀬半五郎
大瀬半五郎(おおせの はんごろう、本名・大作半五郎)は幕末の侠客、博徒。伊勢野一家。
略歴
- 伊勢野村の博徒・大作音五郎の長男で、寺の過去帳に天保13年1月15日生、大作仁三郎の兄・半五郎とある。
- 14歳の安政3年頃、父大作音五郎が大瀬村の中川堤外で焼瓦渡世を開業し、半五郎が大瀬村で殺人事件を起こし、清水次郎長の所に草鞋を脱ぎ、大瀬半五郎と言われた。
その殺人事件とは、元治元年7月11日の昼2時ごろ、戸ヶ崎渡し場の五郎平店にて、伊勢野村の半五郎と戸ヶ崎村の吉松が酒を飲んでいた。その店に宿篠葉村名主の下男清左衛門(37歳)が休息に立ち寄った。清左衛門と半五郎らとは面識はなかったが、半五郎らは無理に酒をすすめ、三人でしばらく酒を飲んでいた。三人は、夕方5時頃店を出て、渡し場の方へ歩いていった。すると半五郎と吉松は、脇差を抜き放ち、清左衛門に斬りかかり、死体を中川へ投げ込み逃走した。
半五郎と吉松は、その後行方知れずになったと記される。
- 明治10年9月26日歿。行年34歳。墓所は埼玉県八潮市伊勢野の光明寺跡墓地。
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