和泉屋一家
和泉屋一家四代目(いずみいっか)は茨城県東茨城郡大洗町磯浜町8233-9 金木ビルに本部を置く暴力団で、指定暴力団・松葉会の二次団体。旧・和泉一家。
略歴
- 初代・和泉武志は茨城県大洗で生まれ、関根組組長・関根賢の実弟である関根組副長・関根時雄の若い衆となった。
戦後、東京で作った若い衆を率いて大洗へ戻り、海老沢一家を継承。
和泉屋は和泉の屋号であり正式には海老沢一家総長であったが、和泉屋で通っていた。
- 和泉武志は松葉会草創期の六役(会長・藤田卯一郎、総務会長・久野益義、事務局長・小林清、幹事長・田山芳徳、綱紀委員長・木津政雄、組織委員長・和泉武志の六親分)のうち、田山芳徳、木津政雄とは兄弟分、藤田卯一郎とは五厘下がりの舎弟であった。
藤田卯一郎と和泉武志は出身地が近いこともあって仲が良く、和泉武志は藤田卯一郎を「兄貴」と呼び、藤田卯一郎は和泉武志を「兄弟」と呼んでいた。
- 鯉淵一家七代目・五十嵐保男、助川一家四代目・神山孝三、岡一家四代目・桜井和、小島一家三代目・沼田精一は和泉武志の舎弟、國井一家初代・國井源吾衛門は五厘下がりの舎弟であり、茨城県内の錚々たる親分衆を舎弟として一本にまとめ、松葉会に参加させた。
- 茨城県内の松葉会一門をまとめて「常磐連合会」を結成。後に「茨城松誠会」、「松誠会」と名称変更し現在は解散。
- 久保田文男が二代目を継承。
久保田文男は海老沢一家より和泉屋の方が、名が通っていた事から、海老沢一家和泉屋二代目と称し、後に和泉一家を興して和泉一家二代目を正式な名称とした。
系譜
海老沢一家
代目不詳 - 海老沢定吉
代目不詳 - 角屋己之松こと藤田己之松(海老沢定吉跡目)
代目不詳 - 和泉武志
和泉屋
初 代 - 和泉武志
二代目 - 久保田文男
和泉一家
初 代 - 和泉武志
二代目 - 久保田文男
三代目 - 金木和男(松葉会執行部理事)
四代目 - 山口芳雄(松葉会理事長補佐)
和泉屋一家
四代目 - 山口芳雄(松葉会理事長補佐)
和泉屋一家組織図
代 表 - 長岡栄一(関東関根組執行部理事)
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