旭琉會
旭琉會(きょくりゅうかい)は沖縄県中頭郡北中城村島袋1362に本部を置く指定暴力団。
主な施設
旭琉會本部 - 沖縄県中頭郡北中城村島袋1362
旭琉會旧本部 - 沖縄県沖縄市上地2-14-17
沖縄旭琉会旧本部 - 沖縄県那覇市辻2-6-19
旭琉会旧本部 - 沖縄県那覇市首里石嶺町4-301-6
永山本家 - 沖縄県那覇市辻1-6-19 3階
花城本家 - 沖縄県那覇市首里石嶺町4-301-6 2階
略歴
沖縄連合旭琉会結成まで
- 1952年頃、戦果アギャーを由来とし越来村(現在の沖縄市)を拠点とするコザ派(ターリーこと喜舎場朝信、ミンタミーこと新城喜史)と、空手道場の門下生を由来とし那覇市を拠点とする那覇派(スターこと又吉世喜)が形成された。これらは用心棒業等を生業とした。
- 両派を束ねていたのが大親分喜舎場朝信で、10年ほどは衝突もなく共存していた。しかし両派の勢力拡大に伴い縄張り争いが生じていた。
- 1961年から1962年、両派の間でに第一次沖縄抗争が起こる。
1961年、親睦会の席で那覇派の又吉世喜が中座したことをコザ派が無礼と捉え、9月に又吉世喜を滅多打ちにした。1962年1月、退院した又吉世喜がコザ派に宣戦布告。同年11月、コザ派が又吉世喜を銃撃。
警察の一斉検挙により一旦は沈静化した。
- 喜舎場朝信が引退。新城喜史がコザ派を引き継いだが、コザ派大幹部・喜屋武盛一が新たに泡瀬派を名乗り脱退した。残った新城喜史はコザ派を山原派と改称。
那覇派は田場盛孝が新たに普天間派を名乗り脱退。
1965年時点で四派分立となっていた。
- 1964年から1966年、第二次沖縄抗争が起こる。
1964年11月、泡瀬派が元コザ派首領で山原派顧問となっていた喜舎場朝信を銃撃。
山原派が泡瀬派構成員を殺害し報復。
泡瀬派構成員が誤って一般市民を殺傷。
1965年8月、山原派が泡瀬派幹部4名を襲撃。
ここで両派は和解。
1966年4月11日、泡瀬派構成員が些細な理由から那覇派構成員を殺害。
泡瀬派首領・喜屋武盛一が山原派と普天間派に仲裁を依頼するが失敗し、泡瀬派はこれを山原派の妨害が原因と決め付け、1966年4月23日、喜舎場朝信を再度襲撃するが未遂に終わる。
これにより泡瀬派は他の三派すべてを敵に回し、三派連合に攻撃される。
1966年6月30日、喜屋武盛一が逮捕され、1967年1月、泡瀬派が解散。
- 1966年頃、東声会が沖縄支部を結成し沖縄県に進出。
- 残った三派の間で第三次沖縄抗争が起こる。
解散した泡瀬派の縄張りを独占しようとした山原派に普天間派が反発。
1967年3月3日、山原派が普天間派幹部宅を銃撃。山原派は那覇派と手を組んで普天間派と対立。
同年4月23日、普天間派経営の遊技場にダイナマイトが投げ込まれる。
同年4月25日、普天間派経営のパチンコ店で火炎瓶が炎上。
同年5月14日、5人組が普天間派首領・田場盛孝の自宅を襲撃し普天間派1名が死亡。
同年10月29日、2人組が田場盛孝宅に乗り込み射殺。
普天間派は報復へといきり立ったが、田場夫人の説得により、同年11月10日、解散。
那覇派と山原派の二派分立状態に落ち着いたが、この抗争により両派は疲弊し、利権を狙う本土暴力団の進出が活発化した。
沖縄連合旭琉会〜沖縄旭琉会〜旭琉会
- 1970年、本土暴力団の進出を阻止するため山原派と那覇派は因縁を捨て手を結び沖縄連合旭琉会を結成、一旦統一された。山原派の仲本善忠が会長、同新城喜史と沖縄派の又吉世喜が理事長に就任。
- しかしその後も組織内の争いは絶えなかった。
- 1973年、東亜友愛事業組合が沖縄支部(宜保俊夫支部長)を結成し沖縄県に再進出。これには三代目山口組が関与していた。
- 1974年から1981年、第四次沖縄抗争が起こる。
理事長・新城喜史と大幹部・上原勇吉が対立し、1974年9月17日、上原勇吉が謹慎処分を受ける。
同年9月20日、沖縄連合旭琉会・宮城組構成員と同・上原組構成員が那覇のバーで喧嘩となる。打ちのめされた宮城組構成員が報復で上原組構成員7名を拉致監禁し暴行。
これにより上原勇吉は沖縄連合旭琉会を脱退。沖縄連合旭琉会約800名対上原組約50名の争いとなる。
上原勇吉は当初沖縄連合旭琉会全体と対立する意思はなく、又吉世喜に対し、あくまで新城喜史との争いのため旧那覇派の傍観を依頼するが、会の分裂を危惧した又吉世喜はそれを拒否。上原組は孤立無援となる。
同年10月5日、上原勇吉が那覇警察署に上原組の解散声明を提出。
しかし同年10月24日、旧上原組構成員が宜野湾のクラブ「ユートピア」で新城喜史を見つけ射殺。
沖縄連合旭琉会が旧上原組を襲撃するが、旧上原組も反撃。
同年12月12日、旧上原組が那覇の又吉世喜宅に手榴弾を投げ込む。この辺りから上原勇吉は地下に潜伏。
1975年2月、新城喜史配下が籠城する元上原組構成員3名を拉致。上原勇吉の居場所を詰問するが、口を割らなかったため射殺。
同年10月16日、旧上原組が土佐犬の散歩に出掛けた又吉世喜を射殺。
旧上原組は沖縄連合旭琉会大幹部2名を殺害するも窮地に立たされていたため、1976年に結成された三代目山口組の沖縄支部である琉真会に加入し上原組を再興。沖縄連合旭琉会対琉真会の争いとなる。
警察の取り締まりは厳しくなり、仲本善忠が逮捕。1976年、沖縄旭琉会へ改称と同時に多和田真山が会長に就任し二代目体制が発足。
1977年1月25日、暴行事件が起こり抗争が更に激化。ここから8カ月で23件の事件が頻発する。
琉真会は長期逃亡中の上原勇吉の実弟で上原組組長となっていた上原秀吉など幹部が一斉検挙される。琉真会会長・仲本正弘組長も逮捕され幹部も軒並み指名手配となり戦力を失った。
一方、沖縄旭琉会も会長・多和田真山など大幹部が逮捕。
1978年5月13日、沖縄県警の警戒解除により一応の抗争終結となる。
- 1981年7月、多和田真山と三代目山口組・吉川組組長・野上哲男が五分兄弟分となり、沖縄旭琉会と三代目山口組は和睦する。
- 多和田真山はこれを機に組織改革を実施したが、三代目山口組との縁組に組織内部の不満は残り、1982年10月9日、多和田真山が傘下組織構成員により射殺された。
- 上原組は多和田真山射殺を機に反撃を画策していたが、沖縄旭琉会・新和一家が牽制していた。
- 1983年4月、新和一家総長殺人未遂事件が発生し第五次沖縄抗争が起こる。
しかし素早い警察の対応と沖縄旭琉会の自重により1ヶ月で終結。
- 同年5月、翁長良宏が会長に就任し三代目旭琉会に改称。富永清が理事長に就任。
旭琉会と沖縄旭琉会の並立
- 1990年、翁長派と富永派の対立しが表面化し、同年9月13日、富永一家構成員が翁長派の丸長一家事務所に乱入。
- 同年9月17日、旭琉会は富永清を絶縁。
- 同年9月19日、富永派の9組織が離脱し沖縄旭琉会を結成。そのまま第六次沖縄抗争が起こる。
高校生1人、警察官2人を含む7人が抗争の凶弾によって死亡し、13人の負傷者が出た。
1992年における暴力団対策法の施行は、この第六次沖縄抗争を一因としたものであった。
- 同年2月、三代目旭琉会及び沖縄旭琉会の代表が抗争の終結宣言を行い、表立った抗争は事実上終結したものの、そのまま2つの旭琉会が並立、緊張を伴う“冷戦状態”が以後20年余にわたって継続した。
- 同年6月、旭琉会・沖縄旭琉会の両者揃って指定暴力団に指定。
- 2010年、三代目旭琉会会長・翁長良宏が引退。理事長・花城松一が四代目を継承。
四代目旭琉会会長・花城松一の後見人となったのは沖縄旭琉会会長・富永清であった。
旭琉會
- 2011年11月、分裂から21年を経て沖縄旭琉会が四代目旭琉会を吸収する形で一本化が正式決定。
名称を旭琉會として統一し富永清が会長に就任。沖縄旭琉会の代紋が引き継がれた。
- 2019年7月12日、会長・富永清が死去。以後、会長不在となる。
- 2022年2月10日、旭琉會本部にて幹部会が開かれ、二代目照屋一家総長・永山克博を暫定代表とすることが決定。
今後、旭琉會の理事や役職を改め、組織内の世代交代を図っていくとみられている。
- 2022年5月7日、警察庁が旭琉會と竹聯幇が関係を深めていることから動向を重視している。
系譜
旭琉会
初 代 - 仲本善忠
二代目 - 多和田真山
三代目 - 翁長良宏
四代目 - 花城松一
沖縄旭琉会
富永 清
旭琉會
初 代 - 富永 清
代 表 - 永山克博
旭琉會組織図
代表
永山克博(二代目照屋一家総長)
最高幹部
名誉顧問 - 花城松一
最高顧問 - 上原健次(湊一家総長)
最高顧問 - 上江洲丈二(南洲一家総長)
顧 問 - 座安 隆(旭成一家総長)
顧 問 - 中村 實(桜一家総長)
顧 問 - 高江洲良吉(錦一家総長)
相談役 - 安慶名誉夫(誉一家総長)
相談役 - 佐久本運(二代目優心一家総長)
相談役 - 久高将茂(丸宏一家総長)
代表補佐 - 與那哲也(龍神一家総長)
代表補佐 - 又吉敏廣(二代目島袋一家総長)
執行部
理事長 - 糸数 真(三代目富永一家総長)-勾留中
本部長 - 知念秀視(二代目沖島一家総長)
幹事長 - 狩俣重三(二代目功揚一家総長)
直参
嘉陽三郎(三代目丸良一家総長)
前泊頼男(三代目辻昌一家総長)
上原芳正(二代目志多伯一家総長)
泉 操
糸数光秀
知念正人
比嘉哲也(三代目一心一家総長)
平良 学(二代目山久一家総長)
事務局長
満元幸次(三代目ナニワ一家総長)
旭琉會組織図
統合前の組織図
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