趙 春樹
趙 春樹(しょう はるき、しょう しゅんじゅ、本名:同)は日本のヤクザ。指定暴力団・稲川会・四代目箱屋一家総長。
- 中国河北省天津市に生まれ、第二次世界大戦中、山形県酒田市に連行され強制労働をさせられた。
- 戦後、東京向島で愚連隊となった。
- 1948年、御殿場の賭博小屋で揉め事が起こり、出口辰夫が趙春樹を連れてその賭博小屋に行った。
賭博小屋には稲川角二、稲川の若衆・長谷川春治、同・森田祥生がいた。
出口辰夫は稲川角二に趙春樹を紹介した。
- 時期は不明であるが箱屋一家の四代目を継承した。箱屋一家は日本国粋会に加盟していた。
- 1967年、日本国粋会を脱会し稲川組に加入した。
- 1980年から1985年まで趙春樹は稲川会理事長を務めていた。
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- 本名がハングル表記になってますが、趙 春樹さんは中国・天津生まれの中国人です。 -- 通りすがり?