水野村吉五郎
水野村吉五郎(みずのむらの よしごろう 加藤吉五郎 -1884年)は幕末の侠客、博徒。瀬戸一家、北熊一家の祖。
略歴
- 幕末の頃、東春日井郡水野村(現在の瀬戸市水野地域)で博徒の親分となる。
- 一説には東濃地方の梅屋一家の子分であったとされるが確かではない。
一家名はなく、北熊実左衛門こと近藤実左衛門(後の北熊一家初代)に跡目を譲り、1884年死去。
愛知県瀬戸市水野村
戒 名 文 道 寿 章 信 士
歿 年 明治二十年旧七月七日 行年七十四歳
墓 所 愛知県瀬戸市上水野町 上水野墓地
菩提寺 瀬戸市水北町 臨済宗妙心寺派 感応寺
水野村ノ吉五郎は、水野村に生れ、美濃太田の梅屋嘉六の乾分となり、何時ごろか、定かでないが、瀬戸の親分となり瀬戸ノ岡吉とも云われた。
甲州・猿屋ノ勘助を殺害し、追われる身となった清水ノ治郎長は女房のおてふと乾分数人を連れて西に走り、安政五年十二月も終るころ、岡吉の家に世話になる、たまたま、女房のおてふが旅の疲れと心労もあって病にたおれ、名古屋巾下ノ長兵衛宅に移る。
主な乾分に井上愛吉、近藤実左衛門、今村ノ伊三がいた。
吉五郎は明治初年ころ跡目を近藤実左衛門に譲るが、三派に分かれ実左衛門は北熊一家名乗り、愛吉は瀬戸一家を興す。
加藤吉五郎は明治二十年旧七月七日、歿す。
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