御幸山鎌太郎
御幸山鎌太郎(みゆきやまの かまたろう、本名・湯本鎌太郎)は幕末の侠客、博徒、元力士。
略歴
- 滋賀県草津市の人。
- 文化12年(1815年)、江州彦根の湯本原太郎氏峯の次男に生まれた。
- 同じ町内に住む大山七郎助の養子となり、名を大山平内と改めた。
- 湯本家に残っている古い記録に、天保十年春、平内は隣家の宅へ忍び込み、娘を無体攻めにしているところを、家人に見つけられてしまった。大騒ぎになったので、気まり悪くなって、京都へ出奔して相撲取りとなる。京都の御幸町に住んでいたところから、御幸山という四股名をつけた。
- 「京都・滋賀の相撲」竹森章著書には、天保十年ころから嘉永二年ころまで、中相撲に、京あるいは江州頭書で出てくる御幸山徳蔵のことと思える。地盤と四股名からみて御幸野政右衛門の弟子であろう。引退後は安政四年まで京都相撲世話人を務めている。とある。
- 安政の頃、草津に移り、侠客として名を売る。
- 江尻大熊と兄弟分。
- 慶応2年2月2日、中風の発作にて歿す。行年50歳。墓所は滋賀県彦根市古沢町の清涼寺。
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