博徒
博徒(ばくと)は賭博を生業とする者。
略歴
- 古来より日本では賭博(博打)は禁じられてきたが、庶民の間では賭博は非合法に行われてきた。
- 賭博を生業として生活する者は博徒や博打打ちと呼ばれ、次第にそれらの無宿人(アウトロー)らが集団化し疑似血縁関係を成し博徒一家を形成した。
- 江戸前中期のアウトローは侠客、町奴、旗本奴などがいたが、幕末になるとこの博徒一家がアウトローの主要なものを占めるようになった。
- 江戸時代までは香具師(的屋)を兼ねていたり、町火消、口入れ屋を生業とする者が博徒となることもあったが、明治期以降は的屋とは明確にその発祥が分けられ、博徒系暴力団と分類られるようになった。
- 博徒の縄張りは費場所(火場所、守場所、死場所とも)と言われ、江戸時代から引き継ぐ縄張りを死んでも守るものとして扱われた。
- 博徒系暴力団は的屋系、愚連隊と並び、現在のヤクザ(暴力団)の主な源流の一つとなっている。
- 幕末の侠客の著名な者たち(清水次郎長や国定忠治ら)の大半は博徒であり、現在の暴力団の原型となっている。
- 古くは丁半博打、手本引き、賽本引きが行われたが、昭和期以降はパチンコやみかじめ徴収、野球賭博やノミ屋等の違法賭博に拡大し、のちに港湾系、土建系、炭鉱系、右翼系などに組み込まれていくものもあった。
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
※誹謗中傷や悪戯、あらし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とします。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧下さい。
- 編集を依頼される場合、他のユーザーに編集協力を依頼する時は下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
運営宛に編集依頼する時は【メールで編集依頼】から依頼して下さい。
【このページの編集依頼】