誉田
誉田(こんだ)は的屋の家名。
略歴
- 享保から元文年間の頃、江戸に越前屋、尾上、丸野、大阪に博労、誉田講神社、代々木など、官訴の露店取締ができた。
- 誉田八幡宮の社家に関係があるとされ、代々塩野織部を継いだ。
- 初代塩野織部こと国光織部は慶応3年(1866年)6月1日死去。
- 二代目塩野織部の墓には昭和12年4月建之。誉田講神社。堺誉田分家。誉田大阪今西組。とある。
- 誉田八幡宮の近くで織部堂の看板を掲げて抜歯、入歯、口中治療を行ったとされる。
- 塩野一族は蘇我氏の流れをくむとも。
- 昭和36年頃は誉田連合会とも。
初 代 - 塩野織部?こと国光織部
二代目 - 塩野織部?
三代目 - 塩野織部?
誉田講神社川部支部
堺誉田組
沢 金三郎
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誉田講神社