吉田松五郎
吉田松五郎(よしだ まつごろう)は侠客、博徒。吉田屋一家初代。
略歴
- 通称テンボー松(テンボウ松)。
- 穴太徳次郎子分で、吉田屋一家を興す。
- 明治20何年頃かに風呂屋にて腕を斬られテンボーとなる。
- 南の亀久(伊藤佐太郎)、北のテンボー松と云われた。
- 中村兵吉墓に吉田松五郎、同一家中明治41年2月建之、加藤芳兵衛墓に発起人吉田松五郎、水谷大次郎墓に桑名吉田松五郎とある。
- 大正2年9月13日歿。行年不詳。墓所は三重県桑名市播磨町の西浄寺。松五郎墓は大正7年3月吉田屋一家が建之。
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