三井卯吉
三井卯吉(みついの うきち、別名・大天窓(おおかしら)、猿屋勘助、三井市右衛門、本名・三井宇七郎、1802年-1857年または1783年 - 1856年)は幕末の侠客、博徒、目明し。甲州博徒。
略歴
- 山梨県甲府市柳町の人。
- 猿屋ノ勘助と同一人物か。
- 西保周太郎亡きあとの甲州博徒の大親分であり国分村の国分三蔵や勝沼の祐天仙之助を従えた。
- 市川大門村の鬼神喜之助・小天狗亀吉兄弟、竹居村の竹居安五郎・黒駒勝蔵らと敵対した。
- 1857年(安政4年)正月(1月4日)、甲府城下の山田町で、妻(妾)と共に家にいたところ、小天狗亀吉らに踏み込まれ殺害された。
- 別説として、対立していた博徒・吉原亀の子分・波之助に殺害されたという説や、清水次郎長配下の江尻大熊に殺害されたという説がある。
- 子分には勝沼の祐天仙之助。
- 一説には浅草の香具師の間で甲斐の両国屋卯吉の名で的屋の祖とされている。
検索用
三井宇七郎、三井ノ宇七郎、三井ノ宇吉、三井宇吉、三井ノ卯吉
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