竹居安五郎
竹居安五郎(たけいの やすごろう、別名・竹居吃安(たけいの どもやす)、本名・中村安五郎または安蔵、1811年6月5日-文久2年10月6日)は幕末の侠客、甲州博徒。竹居一家初代。
略歴
- 山梨県八代町竹居の人。
- 文化8年(1811年)4月15日、竹居の名主中村甚兵衛の三男に生まれる。
- 人斬長兵衛のもとで修業したとも。
- 黒駒勝蔵の兄貴分。
- 自身の配下に四天王及び十人衆を従え大勢力であった。
- 二足草鞋の親分国分三蔵や祐天仙之助、上野の浪人犬上郡次郎、甲府柳町の三井卯吉らと敵対した。
- 文久2年2月17日、祐天、三蔵、郡次郎の奸計により石和代官所に捕縛され、同年10月6日牢死する。
子分の初鹿野ノ美勇が遺体を受け取って接慶院に埋葬した。
- 文久2年2月17日歿。行年54歳。墓所は山梨県東八代郡八代町竹居の淨源寺。
石和町の常在寺に子分建之吃安墓、石和町の仏陀寺に竹居ノ吃安墓、子孫邸宅に吃安生誕之地、竹居の淨源寺に竹居吃安墓がある。
配下
四天王
十人衆
検索用
竹居安五郎、竹居吃安、武井安五郎、武井吃安、竹井安五郎、竹井吃安、武居安五郎、武居吃安、竹居ノ安五郎、竹居ノ吃安、武井ノ安五郎、武井ノ吃安、竹井ノ安五郎、竹井ノ吃安、武居ノ安五郎、武居ノ吃安、中村安蔵、中村安五郎
▴ 詳細を表示
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
※誹謗中傷や悪戯、あらし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とします。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧下さい。
- 編集を依頼される場合、他のユーザーに編集協力を依頼する時は下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
運営宛に編集依頼する時は【メールで編集依頼】から依頼して下さい。
【このページの編集依頼】