下田大岩
下田大岩(しもだの おおいわ、通称・赤鬼、赤鬼金平、本郷金平、別名・由五郎、本名・加藤金平)は幕末の侠客、博徒。本郷一家?。
略称
- 伊豆国賀茂郡下田または伊豆国賀茂郡本郷村の人。
- 文政3年に伊豆国下田本郷村の百姓家に生まれた。(他に三島の生まれとの説もあり。)
- 本名由五郎と言う。若いころは石屋を生業とした。
- その後、いささかの暴力沙汰を起こし、江川代官手代・山田頼助の元に出頭を命じられるも、菩提寺である海善寺の住職に弟子入りし、僧籍「玄道」と名乗ることで罪を免れた。しかし生来の元気さは押さえられることもなく、まもなく破牢し、大場久八の元で東海道筋有数の遊侠の徒となる。
- 髪結いから無宿渡世を経て、いつしか大場久八の一の子分と称される。やがて下田から縄張りを広げ、久八を凌ぐ武闘派博徒になった。
- 森石松を殺したことで清水次郎長に追われていた都田吉兵衛に頼まれ味方し、万延元年(1860)9月19日夜、金平・吉兵衛連合で、沼津から駿河湾を渡り清水次郎長の本拠を襲った。
- 元治元年(1864)には、黒駒勝蔵と共に甲府城乗っ取りを掲げ、手配に挙げられている。
- 倅に国五郎が居た。
- 兄弟分には弁天安太郎、黒駒勝蔵。また長楽寺清兵衛もそうであったとも言われる。
- 明治2年5月25日没。行年49歳。墓所は静岡県下田市の海善寺。
墓側面に孤屋清與信士、台石前面に村島と刻んであり、現在村島家の墓となっている。
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すみません。以前別のところで書いた藤右衛門の弟・由蔵というのは別人のことでした。