いろは幸太郎
いろは幸太郎(いろは こうたろう 本名・長谷川伊三郎 - 1905年3月16日)は幕末から明治の侠客、博徒。会津小鉄一家若頭、いろは組初代。
略歴
- 京都府京都市の人。
- 会津小鉄の跡目。現在の会津小鉄会では上坂卯之松を二代目としている。
二代目のことを会津小鉄は遺言しておらず、いろんな事情があったという。
- 明治18年5月、大津で大津下駄寅を殺して懲役に行き、明治22年12月に出所している。
- 会津小鉄墓にいろは幸太郎建とある。
- 常代川由之助は五厘下がりの舎弟。九州若松・吉田磯吉と兄弟分。
- いろは組二代目・長谷川房次郎は実弟。
- 明治38年3月16日没。行年51歳。墓所は京都府京都市東山区清閑寺山ノ内町の市営墓地。
明治41年病没とする資料もある。
検索用
いろは幸太郎、いろは楼幸太郎、いろはノ幸太郎、いろは楼ノ幸太郎
▴ 詳細を表示
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧下さい。
- 他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
- 運営宛に編集依頼する場合は【メールで編集依頼】から依頼して下さい。
- ※悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。
【他の利用者に編集協力を依頼する】