富田鍋吉
富田鍋吉(とみた なべきち、本名・富田鍋次郎)は稲葉地一家祖・日比津善七の実子。日比津の七人衆の一人。
略歴
- 1880年(明治13年)生まれ。
- 1917年(大正6年)、稲葉地一家三代目(のち二代目)・水車藤三郎が引退。
今枝政五郎が跡目に指名されたものの力不足であった為、今枝政五郎の舎弟でもある富田鍋吉が共同で跡目を預かる事となった。
今枝政五郎は旧郡部一帯、富田は旧市部一帯を取り仕切り、鬼頭由次郎がこれを後見していた。
- 刑の言い渡しを受けて逃亡した。
- 大正8年1月3日没。行年39歳。
- 富田鍋吉に連なる一派が稲葉地一家問屋町派となる。
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