北熊実左衛門
北熊実左衛門(きたくまの じつざえもん、本名・近藤実左衛門)は幕末の侠客、博徒。水野吉五郎の子分、跡目。北熊一家初代。
略歴
- 尾張国愛知郡北熊村(現在の長久手市北熊)の人。
- 文政8年(1825年)8月1日生まれ。
- 水野吉五郎の子分で勇猛にして横暴。
- 尾張藩剣術指南役柿沼平内から念流を学び目録を受けたほどの剣術の使い手であった。後に尾張藩校明倫堂の剣術世話役となった。
- 明治初年頃(嘉永5年とも)、水野吉五郎の跡目を継ぐ。先代の名を用いず一家を北熊一家とした。
- 明治維新の際、尾張侯の越後隊へ加わり会津戦争へ行ったため、費場所を同じ水野吉五郎子分今村伊三へ預けた。同じく水野吉五郎子分の瀬戸愛吉は自分より格下の今村伊三へ費場所を預けられたことに不満を持っていた。
- 戦争より帰ると親分の吉五郎一家を名乗らず自身の住居である愛知郡北熊村(現在の長久手市北熊)をとり北熊一家を名乗った。
- これに対し瀬戸愛吉は北熊実左衛門と絶縁し、自身の住居である東春日井郡瀬戸村(現在の瀬戸市の一部)より瀬戸一家を名乗った。北熊一家と瀬戸一家は大いに勢力を争った。
- 信濃屋一家・信濃屋喜兵衛と兄弟分。
- 五明一家・五明常八、信濃屋一家・吉田久三郎と兄弟分とも。
- 岡島一家・岡島次郎吉は舎弟。
- 信濃屋喜兵衛墓に発起人近藤實左衛門とある。
- 明治36年旧5月10日または6月5日没。行年79歳。墓所は長久手村北熊の共同墓地。
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