祐天仙之助
祐天仙之助(ゆうてん せんのすけ、別名・山本仙之助、祐天吉松、本名・山本吉松、1818年頃-1863年11月25日)は幕末の侠客、博徒、目明し。甲州博徒。
略歴
- 山梨県甲府市の人。
- 生年不詳、出生地は駿州説と甲州説がある。
- 父は山伏で、自身も甲府の元紺屋町の寺に預けられて山伏をしていたという。祐天は山伏であった頃の名。
- 成人して博徒になり、甲府柳町の三井卯吉の子分となる。
- 津向文吉とは兄弟分。
- 三井卯吉の代貸となった。甲州勝沼を本拠に勢力を構え、竹居村の中村甚兵衛・竹居安五郎兄弟や、安五郎の弟分である上黒駒村の黒駒勝蔵らと敵対した。
- また、市川大門の博徒である鬼神喜之助、小天狗亀吉兄弟とは仇敵の間柄であり、更に駿河の清水次郎長の妻・おちょう(初代)の実兄である江尻大熊の子分を殺害し、清水次郎長とも敵対関係にあった。
- 弘化3年、竹居安五郎の用心棒、桑原来助を鰍沢で殺害。
- 竹居安五郎逮捕後、弟分の菱山佐太郎と共に江戸へ行き浪人隊に入り、桑原の遺児大村達尾も浪人隊で一緒であった。
- 文久3年10月15日、大村に討たれた。行年不詳。墓所は東京都墨田区太平の法恩寺。
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