関口愛治
関口愛治(せきぐち あいじ、1897年 - )は侠客、香具師、的屋、演歌師。極東初代、極東関口本家初代、極東関口会。
略歴
- 1897年、群馬県甘楽郡磐戸村(現南牧村)の茂木家で四人兄弟の末っ子として生まれた。
4歳の頃、長野県北佐久郡横根村(現佐久市)の関口家へ養子に入った。
祈祷師の母・関口オソとともに全国を旅に回った。
- 生家である茂木家の長男・量太郎を探すために、13歳の時に関口家を出奔し横浜へ行った。
櫻井一家・櫻井庄之助?の者たちに声をかけられ木賃宿へと移った。
- 横浜伊勢佐木町で演歌師として演歌を歌い始めた。
- 18歳の頃、櫻井庄之助?と親子盃を交わした。
- 1926年、大日本神農会が結成され、取りまとめ役として活躍した。
- 1939年、兄弟分であった飯島一家小倉二代目・尾津喜之助のために殺人事件に加わり約10年間の獄中生活を送った。
- 1961年、極東愛桜連合会を結成した。
- 1967年、死去。