横川三之助
横川三之助(よこかわの さんのすけ、本名・関綱吉)は幕末から明治の侠客、博徒。新井一家四代目。
略歴
- 現在の群馬県碓氷郡松井田の人。
- 天保8年(1837年)生まれ。
- 新井一家三代目・山田丈之助?の子分となる。
- 警察の密偵の藤田錠吉というものがいた。これと相識の間柄であった。
錠吉は綱吉をたぶらかして、自由民権党の集会に兇器を携えて加わった罪を、自首すれば罪を軽い刑にするといった。
判決は重禁錮10年の重罪が申し渡された。それに子分の町田鶴五郎と神宮茂十郎が怒り、ある夜錠吉の家に放火した。かねて、報復を予想していた錠吉は日本刀をもって躍り出し、鶴五郎と格闘となり助太刀に出た茂十郎がわきから錠吉に斬りつけ重傷を負わせた。
同じく重傷の鶴五郎を茂十郎は肩にかけて逃げたが、途中で鶴五郎は絶命した。錠吉も三日後に歿す。
茂十郎は東京で逮捕され重懲役9年を言い渡された。
- 綱吉は晩年眼病を患い威勢は無かった。
- 明治37年5月31日歿。行年67歳。墓所は群馬県碓氷郡松井田町横川の稲荷神社境内。
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