#author("2023-04-29T15:34:49+09:00;2023-02-27T22:46:31+09:00","","")
* 丹波屋伝兵衛 [#z297a44f]
''丹波屋伝兵衛''(たんばや でんべえ、別名・半田屋竹之助、半田竹之助、本名・多田竹之助、1817年 - 1890年)は幕末の侠客、博徒。
** 略歴 [#c721b22b]
-文化13年または14年(1817年)、伊豆国韮山の多田で生まれ、20歳を過ぎて伊豆を出た。
-各地を転々としたのちに伊勢国古市へ来て、妓楼半田屋を始めた。
-東海道随一、伊勢古市の大親分と呼ばれるまでになり、上州の[[大前田英五郎]]、伊豆の[[大場久八]]と並び上州系三親分ともいわれた。姉志津の夫が[[大場久八]]である。
-[[小金井小次郎]]とは反りが合わなかった。
-[[穴太徳次郎]]の後ろ盾であり、[[荒神山の喧嘩]]で[[穴太徳次郎]]が敗れたあと、[[清水次郎長]]、[[神戸長吉]]らに決闘を申し込まれたが降伏した。
-明治5年(1872年)、古市・中之町の繁栄策について、古市の有力者が連名で度会県に提出した陳情書には、半田屋こと多田竹之助と署名がある。
-明治8年以降、古市を捨て関東の八王子に身を寄せた。
-明治23年12月、死去。行年73歳。
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