美濃鉄次
美濃鉄次(みのの てつじ、美濃鉄、本名・近藤銕次)は明治の侠客。会津小鉄一家。
略歴
- 京都の人。
- 美濃鉄こと近藤銕次は、美濃の生まれで、いろは幸太郎の子分となる。
- 川端覚太郎こと山本覚太郎と兄弟分。
- 信太こと島田信太郎らと喧嘩となり腹部に二ヶ所、頭部に一ヶ所、肩に七寸の傷を受け歿す。
- 明治23年9月5日歿。行年34歳。墓所は京都府京都市中区寺町の本能寺。
墓は明治23年12月5日いろは幸太郎立之とあり、墓台石前面にいろは内若中とある。
墓石は現在山科区勧修寺小松原の唱玄院の無縁塚にある。
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