#author("2023-02-04T15:16:13+09:00","","")
#author("2023-02-13T02:04:35+09:00","","")
* 清水一家[#v219a603]
&size(16){''六代目清水一家''(しみずいっか)は[[静岡県静岡市清水区庵原町138-10:https://maps.app.goo.gl/JEmSnWZi1yXnbur69]]に本部を置き、[[静岡県焼津市八楠1-20-7:https://maps.app.goo.gl/REQuzmxxwtvL5NSx9]]に本家を置く暴力団で、指定暴力団・六代目[[山口組]]の二次団体。};
#ref(山口組/山口組.jpg,right,nowrap,画像)
** 略歴 [#zc082e04]
#ac(h,alt){{
*** 独立組織[#fd7985e3]
-幕末に遠州清水を中心に勢力を有し海道一の大親分と呼ばれた[[清水次郎長]]の一派に端を発する。
-1843年、[[清水次郎長]]は喧嘩の果てに人を斬ると、[[江尻大熊]]ら弟分とともに出奔し、無宿人となる。
諸国を旅して修行を積み交際を広げ成長した[[清水次郎長]]は清水港に一家を構えた。
-1859年、尾張知多亀崎乙川において[[保下田久六]]を殺害した。
-1860年7月18日、子分の[[森石松]]が[[都田吉兵衛]]により殺害された。
-1861年1月15日、駿河国江尻追分において[[森石松]]の仇である[[都田吉兵衛]]を殺害した。
-1863年5月10日、天竜川において甲斐国の[[黒駒勝蔵]]と対陣した。
-1864年6月5日、三河国の[[平井亀吉]]に匿われていた[[黒駒勝蔵]]を[[形原斧八]]とともに襲撃した。
-1866年、[[荒神山の喧嘩]]に加わった。
-1893年、[[清水次郎長]]が死去。
筆頭子分・[[清水大政]]の直系である[[小沢惣太郎]]が二代目を継承した。
-1915年、[[小沢惣太郎]]が死去。
跡目不在となった。
-1923年、関東大震災が起き、横浜港が壊滅的な打撃を受け、代替港として清水港が注目された。
荷役の支援として神戸の[[斉藤仙太郎]]率いる斉藤組が清水港に進出し、荷役を巡る縄張り争いが起こった。
-1926年、[[小沢惣太郎]]の若衆であった[[岩崎市蔵]]が斉藤組の組員に刺殺された。
跡目不在となった。
-1942年、清水一家長老格・田辺高之助の指名により[[増川仙右衛門]]の流れを汲む[[鈴木幸太郎]]が三代目を継承した。
-鈴木幸太郎が死亡すると田辺高之助の孫・田辺武一が四代目を継承した。
-田辺武一が三十代で死亡し、弟・[[田辺金吾]]が五代目を継承した。
-以来、独立名門博徒一家として存在したが、1966年、解散した。
*** 美尾組・五菱会[#u9cf03e1]
-五代目清水一家の幹部であった[[美尾尚利]]が、独立組織・''[[美尾組]]''を興す。
-1982年、三代目[[山口組]]・[[黒澤組>黒誠会]]舎弟として[[山口組]]傘下に参画。
-1984年、[[山口組]]分裂の混乱の中、[[黒澤組>黒誠会]]組長・[[黒澤明]]が引退し[[黒澤組>黒誠会]]が解散。[[美尾組]]は四代目[[山口組]]若中として直参に昇格した。
-2002年10月、[[美尾尚利]]が病気引退。
[[美尾組]]若頭で[[陣内組]]組長・[[高木康男]]が[[美尾組]]の地盤を引き継ぎ、五代目[[山口組]]組長[[渡辺芳則]]が名付け親となり組織名称を''五菱会''(ごりょうかい)と改称、[[高木康男]]が会長に就任した。
-2003年11月、「ヤミ金融事件」の警察による捜査が本家・五代目[[山口組]]に及んだことから組織名称を再び''二代目[[美尾組]]''に改称。
*** 清水一家 [#u3d56fa2]
-2007年2月28日、清水一家前総長[[田辺金吾]]に挨拶を済ませ、[[高木康男]]が清水一家の系譜を継ぐ正当な後継者として、また[[清水次郎長]]のネームバリューを利用する為、六代目を名乗り''六代目清水一家''に改称した。[[田辺金吾]]は高齢の為、今後の身の回りも大変なのではと[[高木康男]]が三千万円を手渡した。後に[[田辺金吾]]は地元記者に、[[高木康男]]はいい人間だと答えている。
浪花節や小説映画の題材ともなり清水の観光資源にもなっていた清水一家の名跡が、現代の[[暴力団]]として復活する事でイメージダウンに繋がると地元住民の反対もあった。
}}
** 清水一家(次郎長一家)[#t30c7571]
#ac(h,alt){{
初 代 - [[清水次郎長]](本名:山本長五郎)
二代目 - [[清水大政>山本政五郎(大政)]](山本政五郎、本名:原田熊蔵)
三代目 - 増川仙右衛門(本名:宮下仙右衛門)
初 代 - [[清水次郎長]]こと山本長五郎
二代目 - [[清水大政]]こと原田熊蔵
三代目 - 増川仙右衛門こと宮下仙右衛門
四代目 - 山本小三郎
五代目 - 小沢惣太郎
六代目 - 岩崎市蔵
七代目 - 鈴木幸太郎
八代目 - 田辺武一
九代目 - 田辺金吾
** 次郎長一家二十八人衆 [#nc416613]
海道一の大親分・[[清水次郎長]]が率いた次郎長一家には次郎長一家二十八人衆(清水二十八人衆)と呼ばれた配下がいた。
-[[清水次郎長]](本名:山本長五郎)
-[[清水大政]](別名:山本政五郎、本名:原田熊蔵)
-[[清水小政]](別名:山本政五郎、山本音五郎、本名:吉川冬吉)
-[[森 石松>森石松]](本名:山本石松)
-[[増川仙右衛門]](本名:宮下仙右衛門)
-[[大瀬半五郎]](本名不詳、[[関東綱五郎]]と同一人物説有り)
-[[法印大五郎]](別名:角田甚左衛門、伊藤甚左衛門)
-[[小松七五郎]](別名:小松村七五郎、本名不詳)
-[[桶屋鬼吉]](本名:吉五郎)
-[[大野鶴吉]](本名不詳)
-[[相撲常八]](別名:相撲常、相撲常吉、本名不詳、[[五明常八]]と同一人物説有り)
-[[関東綱五郎]](本名:鈴木綱五郎)
-[[寺津勘三郎]](本名不詳)
-[[追分三五郎]](本名不詳、架空の人物とされる)
-[[国定金五郎]](國定金五郎、本名不詳)
-[[舞阪富五郎]](本名:原田富五郎)
-[[田中敬次郎]](田中啓次郎、別名:田中敬太郎)
-[[田中啓次郎]](別名:田中敬太郎)
-[[三保松五郎]](別名:豚松、三保豚松、本名不詳)
-[[四日市敬太郎]](本名不詳)
-[[問屋場大熊]](本名不詳)
-[[清水岡吉]](淸水岡吉、本名不詳)
-[[鳥羽熊八]](別名:鳥羽熊、伊勢鳥羽熊、本名:梶川藤次郎)
-[[辻 勝五郎>辻勝五郎]](別名:辻勝、本名:加藤勝五郎)
-[[伊達五郎]](本名不詳)
-[[由比松五郎]](由井松五郎、本名不詳)
-[[吉良勘蔵]](本名:太田勘蔵)
-[[興津清之助]](別名:興津勘之助、本名不詳)
-[[吉良仁吉]](本名:太田仁吉)

上記の他、[[大瀬半五郎]]と[[関東綱五郎]]を同一人物とする説や[[清水次郎長]]を含めない説などがある。その場合[[関東丑五郎]](本名:加藤市五郎)、[[小川勝五郎]](本名不詳)らが加えられる。
}}
** 系譜[#i2338cc7]
初 代 - [[清水次郎長]]こと[[山本長五郎]]
二代目 - [[小沢惣太郎]]
三代目 - [[鈴木幸太郎]]
四代目 - [[田辺武一]]
五代目 - [[田辺金吾]]
六代目 - [[高木康男]]
** 六代目清水一家組織図[#udb1df06]
総 長 - [[高木康男]](六代目[[山口組]]舎弟)
若 頭 - [[高木明良]](三代目[[美尾組]]組長)
舎弟頭 - [[望月孝雄]](二代目[[杉山組>杉山組(清水一家)]]組長)
舎 弟 - [[内野英機]]([[内野組]]組長)
本部長 - [[吉岡 宏>吉岡宏]]([[吉岡組>吉岡組(清水一家)]]組長)
若頭補佐・東京責任者 - [[田嶋 聡>田嶋聡]](三代目[[陣内組]]組長)
若頭補佐 - [[前田利一]](二代目[[田辺会]]会長)
幹 部・総長秘書 - [[槙野訓裕]]([[槙野組]]組長)
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