松田芳子
松田芳子(まつだ よしこ 旧姓・松永芳子 1917年-1956年)は日本の元ヤクザ。東京都新橋に本拠を置いた的屋系暴力団・二代目関東松田組元組長。戦後初の女組長として名を馳せた。
略歴
- もとは神奈川県横浜市山元町出身。富山県出身。
- 本牧のチャブ屋(外国船員相手の高級遊郭)「東亜」に勤め、常に№1の座を保っていたが、プライドも高く、気にいらない客は絶対にとらなかった。
- 芳子は美人として知られるが、妹のルミは芳子にもまして目の覚めるような美女であったという。
- 妹のルミは、腕に文字で「流れ星」の刺青を彫り、“流れ星のルミ”という異名を持つ。
- 妹のルミは「カッパの松」と呼ばれ、東京新橋の青空市場、闇市を取り仕切っていた松田組の親分・松田義一と結婚したが、松田義一が服役中に妻・ルミが肺結核で死去。
- 1942年(昭和17年)暮れ、松田義一が出所。ルミの喪が明けた後、姉である芳子が松田義一の後妻に収まった。
- 1945年(昭和20年)12月、関東松田組を起こす。
- 1946年(昭和21年)6月、関東松田組組長である夫・松田義一が自身の舎弟・野寺富二に射殺された(渋谷事件)。
- 同月16日、松田義一の妻・松田芳子が当時31歳で女組長として関東松田組を引き継いだ。
- 1947年(昭和22年)7月16日、引き続き第三国人との激しい武力抗争、闇市を商店街化させた新生マーケットの焼失など、組の基盤を揺るがす出来事が続いたため、松田芳子は40人の直属を集めてカタギに戻る宣誓式を行った。
- 関東松田組の解散後、郷里・富山に帰ったり、深川の料亭の帳場ですわったりしていた。
- 1957年(昭和32年)10月、大阪で死去。ヒロポンでは効かず、麻薬を打ち続けたのが原因といわれる。
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
※誹謗中傷や悪戯、あらし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とします。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧下さい。
- 編集を依頼される場合、他のユーザーに編集協力を依頼する時は下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
運営宛に編集依頼する時は【メールで編集依頼】から依頼して下さい。
【このページの編集依頼】