山中源左衛門

山中源左衛門(やまなか げんざえもん、本名・山中重之、生年不詳-1645年12月25日)は江戸前期の侠客、旗本奴、武士。

略歴

  • 生年月日・生地ともに不詳であるが、『寛政重修諸家譜』(1812年)にも『徳川実紀』(1849年)にもその名が記述されている実在の人物。
  • 『寛政重修諸家譜』によれば、1622年(元和8年)に初めて、第2代征夷大将軍の徳川秀忠に拝謁し、200俵を賜る大御番旗本となったという。その後、小普請奉行に任命される。
  • 嫌がらせが好きな性分で、人の嫌がることをしては悦に入ったという。大田南畝によれば、500石の大御番旗本から、旗本奴に転じた人物である。前歯が欠けており、銀製の義歯をしていたとされる。
  • 1645年12月(正保2年11月)、病気と称して任務を果たさず、江戸市中で無頼の行為を行っていることが発覚した。杉浦内蔵允正友(杉浦正友)に預けられたが、切腹を申し付けられ、同年同月25日(同年同月8日)、麹町の真法寺で切腹した。
  • 辞世の句は「わんざくれ 踏んぞるべいか 今日ばかり 翌日は烏が 掻っ咬じるべい」というもので、べらんめえ調の六方詞で詠まれた。
  • のちに塚原渋柿園が描いた『山中源左衛門』では、享年21(満20歳)とされているが、『寛政重修諸家譜』の記述からすれば、それよりも年長であるとみられる。


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