大久保代八

大久保代八(おおくぼの よはち、本名・田中代八、1725年~1784年)は江戸幕府将軍は徳川吉宗の時代であり、江戸中期の侠客、博徒。上州博徒の元祖。大久保一家初代。

略歴

  • 群馬県吉岡村大久保の人。
  • 九州のある藩の家臣であった。
  • ある時藩の家臣が脱藩した。その者は大久保代八の幼な友であったが、藩主の命で追い、討ち果たすことになったが武士の掟の非情さに主家に禄を返上し浪人となる。
  • いたる地で人望と人柄を見込まれ仕官を勧められるが、その意志がないため各地を去るしかなかった。
  • 両刀を捨て根を下ろした地が上州、三国街道の街路で越後伊香保への街路吉岡村大久保であった。ここで大久保一家を興す。
  • 大前田一家初代・大前田英五郎の父・大前田久五郎や、生井一家初代・生井弥兵衛大久保一家の貸元であった。
  • 天明4年(1784年)3月28日、博徒狩りにより捕らえられ死亡。行年59歳。墓所は群馬県北群馬郡吉岡村大久保の大泉寺。戒名は「解空道脱居士」。

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